そっと、はてなブログ

はてなブログのベータテストを生暖かい目で見守るブログです。

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「ブログ衰退」と「セダン車衰退」は似ている

 id:fromdusktildawn さんのブログ論は、id:jkondo 社長のブログ論よりも納得する所が多かった。

 「なぜ今、ブログなのか」を読んだ時に感じたフワフワ感の正体は、「ブログが衰退した原因」で論じられているブログの具体的なニーズの絞込みの必要性、つまり実際にユーザーがブログを書き、ブログを読む具体的なシーンが伝わらない点かもしれない。

 それにしても、このフワフワ感には妙な既視感がある。

 そうだ高級セダン車のCMだ。「走る喜び」とか「快適な長距離クルーズ」とかいうキャッチフレーズが流れ、ロマンが掻き立てられる。似ている。「書く喜び」とか「快適にまとまった量の文章や写真を」とか、はてなブログのキャッチフレーズにも使えそうだ。

 もしも、はてなブログのCMを作るなら、ダンディーな佐藤浩市が似合いそうだ。そしてシブく語るのだ。「書けるか?俺に…書けるさ!」とか「ブログを書くとき、"俺"が帰ってくる」とか。

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 ただ、いつ行けるかも分らない長距離ドライブに最適なセダンよりも、毎日の送り迎えや買い物に便利なミニバンや軽自動車を選択する人は多い。同じようにいつ書くか分らないまとまった考えをストックするのに最適なブログよりも、毎日の感情をフローするのに最適なtwitterSNSなどを選択するのは自然の流れではないか。

 その流れにあえて逆らう。あえて逆らわせてユーザーに長い時間をかけてブログを書かせる。長い時間をかけてブログを読ませる。そのモチベーションをどうやって引き出すのか。そして、それをどう持続させるのか。今は「はてなブログ祭」とも言うべき非日常的なハイテンションが、自分も含めベータテストに参加した犠牲の羊たちを、久々にブログを書く行為へと駆り立てている。しかし、ベータテストも開始から三週目に突入し、そろそろ飽きてくる。

 自然な流れに逆らうならば、単にイメージで煽ったりするだけでは持続しない。文化を盛り上げるには、何らかの仕掛けも必要ではないか?たぶん技術だけでは解決できない。

 そういう新しい何かが、今度はブログを書き続けられるかもしれないという希望が、人柱たちがはてなブログベータテストに飽きる前に、少しでも何か具体的な形になって現れて来るだろうか?

 私個人はブログのように、時間をかけて作り上げる非リアルタイムな場というのは必要だと思っている。その話はいずれ別稿で。


【関連記事】はてなブログベータテストは「足回り」が主題なのかも?

 つらつらと、はてなブログの特徴を自分用にまとめていた時にも、はてなブログとセダン車はちょっと似てるかもなと思った。

 はてなブログ開発におけるスタッフ側の主眼は、車で言えば足回りの、インフラ面にあるのではなかろうか。

 ブログというコンテンツに最適なシステムを作るというよりも、サービスの成長に応じて柔軟に拡張できるインフラとか、海外展開の容易さとか、セキュリティー強化を課題にした今後のはてなのサービスの新しい汎用的な雛形の開発とその運用の確立が、はてなブログ開発の動機の大きな部分を占めている印象。確かに安定したシステムはユーザーも大いに望む所ではあるけど…。



トラックバック機能は、はてなブログではリストラ対象なのか?

 id:jkondo のブログ記事を読んで驚いた。リアルにコーヒーを噴いた。

はてなブログにはトラックバックを組み込みませんでした。しかしベータ版開始以降、一度も「トラックバック機能を付けて欲しい」という要望をもらっていません。ブログから、「コミュニケーションツール」としてのニーズが消えてきている事をよく表しています。

 今、ベータテスト中のはてなブログトラックバック機能は無い。しかし、正式リリースされた後のはてなブログにもトラックバック機能は実装しない可能性を示唆しているように、この文章からは読める。つまり、今私が書いているこのブログ記事からは、jkondoのブログ記事に向けて今も、そして未来も、トラックバックを送信できないのだ。

■誰のためのトラックバック

 もちろん単に「あなたの記事に言及しました」と言及元のブログ記事の書き手に通知するのであれば、トラックバック以外にも色々な方法がある。相手がはてなユーザーなら、自分が書いた記事の中に相手のはてなIDを書き込む事でIDコールを飛ばして通知する事ができる。あるいはもっと単純に、言及元のブログ記事のコメント欄に「あなたの記事に言及しました。記事のURLはxxxです」と書き込むことでお知らせが可能だ。たしかに、それでいいのかもしれない。言及元のブログ記事の書き手にアピールするだけなら、それで用は足りるのかもしれない。

 しかし、トラックバックで通知する相手とは、はたして言及元のブログ記事の書き手だけだろうか?

 トラックバックは言及元のブログ記事の読者にもアピールするものではないだろうか?少なくとも自分は他人のブログ記事を読む時、トラックバックを見る。面白い論考のブログ記事であれば、それに言及しているブログ記事もさらに面白い論を展開しているのではないか、と期待してトラックバックしているブログ記事をチェックする。

 もちろん読者への通知だってコメント欄に書き込めば事足りるかもしれない。しかし、複数人による短文コミュニケーションで綴られるコメントの場と、一人の個人が自分と向き合いながら時間をかけて推敲し書き上げた長文のブログ記事による言及通知の場とは分けられるべきではないか?

ハイパーテキストとしてのトラックバック

 自分がブログに興味をもったのは、たしか2004年頭くらいの事だとぼんやり記憶しているが、トラックバック機能について知った時に、軽く興奮した事を覚えている。

 紙の記事は文末の註に言及元を明示することで、参考にした記事へ「リンク」を張ることが出来る。しかし、言及された側の記事から言及した記事への「リンク」を辿る事は出来ない。紙の場合は未来に書かれた記事が、過去の記事に書き加える事はできない。

 一方、ブログ記事は言及元の記事へとリンクを張ることも出来るし、さらにトラックバックを送信することで言及された側の記事から言及した記事へのリンクを動的に張る事も出来る。ブログ記事は、未来に書かれた記事が過去の記事に書き加える事も出来るのだ。

 インターネットの中で出会った記事が、その後どのように言及され、どのように議論が展開していったのか。読み手はトラックバックを辿る事で追跡することができる。これは紙の世界では体験できなかったスゴイ事だと驚いた。今盛り上がっている議論の発端は何か、現代から過去へと遡る事は容易だ。しかし逆にかつて盛り上がった議論がその後どのように展開していったのかを辿る事は困難だ。しかし、ブログ記事ならトラックバックを辿る事でそれが出来る。

 トラックバックは単にフローなコミニュケーション機能ではない。ストックだ。時間を経過するごとにトラックバックを介してブログ記事が連なっていく。記事が投稿されてから何十年後もトラックバックが付くかもしれない。もしかしたら、そのブログ主が死んだ後も。そして多くの人が言及する優れたブログ記事の文末には、勲章のように数多くのトラックバックが輝くはずなのだ。

トラックバックはオワコンなのか

 それから8年近く。あちらこちらに幾つかのブログを立て、駄文を垂れ流してきた。幾つもトラックバックを送ったし、トラックバックを受け取った。

 あの当時の知的興奮は、今や恥的興奮を掻き立てる出会い系やエロ動画系サイトからのトラックバック・スパムの嵐で、自分としてもすっかり醒めてしまった。

 ネットで出会った面白い記事への言及記事のチェックは、ノイズの多いトラックバックを見るよりも、はてなブックマークのエントリーページの「このエントリーを含むエントリー」でチェックすることの方が多い。

 代替的なサービスもある。zenback も良い。アクセス数向上にも効果的だった。ただ、読み込みが重い事が多く、自分は、はてなダイアリーから外したけど…。

 確かにトラックバックは時代遅れなのかもしれない。『人生がときめく片づけの魔法』の近藤麻理恵女史からは「絶対使いません。捨ててください。」と一喝されるような機能かもしれない。単なる感傷なのかもしれない。しかし、しとしとと雨が降り続く今日の天気のように、なんだか心がモヤモヤするのだ。

 今求められているブログサービスって、どんなものなんだろう?