先の記事 で、はてなブログがコミュニケーション機能を削ぎ落としたブログサービスだという話をした。
では、ブロガー間のコミュニケーションはどうしたら良いのだろう?
■「IDコールが無いなら、TwitterやFacebookを使えばいいじゃないの」
コミュニケーション機能を削ぎ落とした はてなブログで、コミュニケーションをとるにはどうしたらよいのか?この疑問に、jkondo社長はこう答えている。
twitterの登場によって、文章は短文化し、リアルタイムになりました。facebookの投稿も短文です。コミュニケーションのニーズは、ミニブログやSNSが受け持つことになりました。
ネットで知り合った人や、ともだちとコミュニケーションを取りたければ、twitterやfacebookでつぶやけばよくなりました。
ここで自社のサービス「はてなハイクでつぶやけばよくなりました」と言わない所が謙虚である。ステキだ。ま、はてなの最深部的な敷居の高さがあるしね、はてなハイクw
■はてなブログをつなげるのは、はてなIDではなく、TwitterやFacebookのアカウント?
はてなブログで書いた記事に関して他人とコミュニケーションを取るためには、TwitterやFacebookが必要になる。つまり、はてなブログのユーザーにとって、TwitterやFacebookがコミュニケーションの窓口になる。はてなIDの「××さん」というよりも、TwitterやFacebookのアカウントの「××さん」として、はてなブログのユーザーを認識することが多くなるかもしれない。すると、はてなユーザー間のつながりも、TwitterやFacebookなど他社のソーシャルサービスでのつながりに依存する度合いが高くなっていく。
こうなると、ブログの投稿者にとってもブログの閲覧者にとっても、TwitterやFacebookなど他社のソーシャルサービスが主体で、はてなブログはその補助的な存在になる。
それって、はてなという会社的には良いことなのだろうか?
■はてなブログは、長文共有サービス
はてなブログのこの状態は何か別のサービスに似ている。そう、写真共有サービスに似ていないだろうか?写真共有サービスのように、TwitterやFacebookで投稿するには長すぎるまとまった文章を共有するためのサービス。それが、今のはてなブログではないだろうか?
長文のストックに特化したシンプルなサービス。ソーシャルメディアサービスを補強する優れた部品。たしかにそれも良いかもしれない。
ただ、写真共有サービスもそうだけれど、部品的なサービスは手間的にも心理的にも比較的に簡単に乗り換えることができる。ユーザーとして愛着が持ち辛い。
自分は、はてなの魅力、そして強みは「はてなID」だと思ってきた。非実名を許容するアイデンティティー管理サービスとしての「はてな」 に、ずっと期待してきた。
しかし最近は、Twitterアカウントの@mametanuki が、はてな上のid:mame-tanukiと代替可能なネット上のアイデンティティーと言えるのではと思い始めてきた。すると、はてなのサービスに対するこだわりも、ふっと軽くなったように感じた。
■はてなブログは、郊外型巨大ショッピングモール
はてなブログには期待する所があった。
古い構造の縛りの無い「洛外」である はてなブログは、ちょうど近世以降に京都の街の玄関口として発達した伏見の町のように、古都はてなに新しい住人、新しい情報の流れの受け口になるかもしれない。
しかし、はてなブログは、古都・京都を近世都市にバージョンアップさせた外部拡張モジュールとしての水運物流拠点・伏見のようにはなれないかもしれない。むしろ逆に、旧市街地から賑わいを奪う、郊外型巨大ショッピングモール的存在になるかもしれない。駅を中心とした鉄道網から道路網に求心力が移っていったように、はてなIDから他社のソーシャルメディアのアカウントへとユーザーの紐帯も移っていく。はてなブログはそれを促進する存在になりはしないだろうか?
もちろん、謎の新サービスはてなOne が、はてなユーザーをつなぐ新たな紐帯を目指しているのかもしれない。しかし現状、熱心なはてなユーザーですら、放置気味ではないだろうか?